平凡な暮らしの中で思ったこと、感じたことを綴っています。


by swan_aki@julho

呼び止められて

郵便局と銀行の端末に行く用事があり、帰りに図書館に行きかけたら、後ろから「姉さん」と声がする。
私のことじゃないわと、そのまま歩いたが、なおも「姉さん、姉さん」と呼ぶ。
日が暮れかかっていたので、後ろ姿が姉さんかオバサンかは兎も角、女だと言うことくらいは識別できるのかなと思い、振り向くと、私とどちらが年嵩か分からないはどの年代のおじさんが居る。
間違いなく、私に向かって声を掛けているらしい。

「なんですか」と聞くと、夕暮れで目がよく見えないので、道を教えて欲しいという。
大通りから3つめの横町に入りたいと言うので、「じゃ、この一つ先の左側ですよ」と教え、行こうとすると、「悪いけど、一緒に行ってくれないかね」という。
白内障で、暗くなると目がよく見えないらしく、この間も、道を間違えて、とても困った、自転車にぶつけられて、転んだりして・・と言うのを聞くと、そのまま「ハイ、さよなら」とも行かず、おじさんの家まで、同行することになってしまった。
おそらく、私の前にも、何人かに声を掛けたのかも知れない。

内心、図書館の閉館時間が気になったが、今日は亭主も、会合で夕食は要らないと言ってたし、図書館に本を返すくらいなら間に合うだろうと思い、付き合うことにした。
住所を聞くと、地番は途中までその辺りである。
おじさんも、「道を曲がって、しばらく行った左側だからすぐ分かる」みたいな説明なので、そのつもりで歩いていったのだが、思ったより遠い。
それに、おじさんは、足も大分弱っていて、ゆっくりである。
4メートル道路だが、車も自転車も通る。
事故があっては大変なので、おじさんを庇いながら、そろそろ歩き、「エエ、まだ遠くですか」と思わず言うくらい距離があったが、昔、父が、よく道を間違えて、人の世話になったことを思い出し、これもご縁だからと、おじさんの自宅まで、一緒に歩いた。

もう、日は暮れて、道路標識も、1戸ごとに貼られた地番のパネルも見えないが、おじさんは、自分の住まいに近づくにつれ、勘で分かるらしく、「ああ、ここだ」と言うところまでたどり着いたので、「じゃ、大丈夫ですね、失礼します」と引き上げたが、その時になって、玄関の明かりがパッと付いた。
でも、誰かが出てくるでもなく、多分、おじさんは、自分で家に入ったのだろう。

引き返して、元の道に戻った。
時計は持ってでなかったが、多分、行き帰り30分くらいは掛かったと思う。
図書館の閉館時間には間に合い、本を返し、新たに3冊借りた。
帰宅途中、さっきのおじさんの事を考え、気がついたのは、日が暮れて、段々暗くなっていくのに、門灯や玄関灯を点けている家が、ほとんど無かったこと。
多分、誰も家には居なかったのか、暗くなったら、自動的に門灯の点くような処置をしている家が、あまりないと言うことであろう。
道には、所々に街灯があるので、真っ暗と言うことはないが、家々に明かりが点いていたら、道を行く人は、ずいぶん気持ちがホッとするのになあと思ったことだった。

今年は町内会の班当番に当たっているが、先日、お祭りの配り物をしたときも、同じ事を感じた。
昼間出かけていて、配り物は日が暮れてからになった。
一軒一軒廻りながら、門灯の点いていない家が多いことに気付いた。
留守だろうと思い、念のためベルを押すと、パッと明かりが点いて、人が出てくる。
電気を節約するためだろうか、必要ないときは、消しておくらしい。
「玄関や門の灯りは、自分のためだけではなく、暗い道を歩くひとのためなのよ」と教わって育った私には、暗くなっても、門灯などを点けない家というのは、非常に冷たい感じを持つ。
我が家では、家族が帰るまでは、玄関の明かりを点け、門には、暗くなると自動的に点灯する明かりが点いている。
旅行などで留守をするときも、自動点灯式の門灯だけはオンにしておく。
深夜、家路に付く人、道に迷った人にとって、家々の灯りほど、ホッとする物はないと思う。

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by cuore_bonita38 | 2010-10-12 23:43 | 季節と暮らし