我が父の教えたまいし

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10年前になる。
蓼科の山荘に、父と母を連れて行ったことがあった。
散歩の好きな父に、森の中を歩いて貰いたかった。
そのころには、もう父は、知らないところを一人で歩くには、不安を覚えるようになっていて、夫か私が付いて歩いた。
家の前からなだらかな坂を下り、別の小道に出ると、小さな流れがある。
「この川はどこに流れていくんだろうね」と父が言った。
そして「逝く秋の川の流れに付いていく」と、独り言のように付け加えた。
短歌を嗜んでいた父は、時々、こんな風に、喋っている言葉が韻文調になる。
そしてしばらくの間、小さな流れを見つめていた。
こんなことも、昨年5月、彼岸に渡ってしまった、父との思い出である。

戦後ほどなくして、父が戦地から戻ったとき、最初にしたのは、本屋に行くことだった。
兄弟たちが集まり、帰還の祝いがひとしきり済むと、父は、叔父を連れ、リュックをしょって、どこかに出かけていった。
母や叔母たちは、食料の買い出しに行ったものと思ったらしかった。
ところが、夕方になり、戻ってきた父の、リュックから転がり出たものは、たくさんの本だった。
その当時、どこにそれだけの本があったのか、あちこちの本屋をかけずり回って、集めたのか、分からないが、父は、活字に飢えていたのである。
祖母や母たちは、おそらく、嘆いたことであろう。

そんな父だったので、その後も、住まいや食べることに事欠くことがあっても、父は、本だけは手放さなかった。
東京に戻り、親子5人がやっと住める一部屋だけのアパートで、父の本棚は、場違いなスペースを占めていた。
私は、父の本棚から、自分の読めそうなものを探して、こっそり読んだ。
子どもの読み物も、不足していたのである。
太宰治の、「ヴィヨンの妻」は、小学校3年で読み、モーパッサンの「ピエールとジャン」も、そのころ読んでいた。
本好きな娘をかわいそうに思ったのか、父は勤めの合間に、古本屋に行っては、子どもの本を探して、1冊2冊と、買ってきてくれた。
小川未明の童話集は、いまでも手元にある。
戦前の装丁で、70年くらい経っているが、まだ、ちゃんと形を保っている。
そのほかの本は、何度も引っ越しを重ねているうちに、散逸してしまったらしく、残っていない。

10年前、両親がうちに引っ越してきたとき、一番困ったのが、父のおびただしい本を、どうするかということだった。
私にとって懐かしい本が、父との思い出とともに、たくさんあったのだが、すべてを我が家に運ぶことは不可能だった。
恩地孝四郎装丁の「日本文学全集」、短歌を嗜む父の集めたたくさんの歌集、これらは、涙を呑んで処分した本の一部である。
「本の重みで家がつぶれる」と嘆く夫の目を盗んで、私は、1冊でも多くの本を、何とか守ろうとし、何度か往復しては、持ち帰ったが、大半の書物は、失われることになった。

父は、一言も不満を漏らさなかったが、心の中で泣いていたと思う。
家に来てからの父は、部屋の座卓を机代わりにし、廊下の隅に置かれた自分の本箱を眺め、時に短歌を作ったりして、静かに過ごしていた。
「この頃お父さんは、ちっとも本を読まないわ」とが母が言ったことがある。
母は、それを老化の進んだためと思っていたが、私には分かる。
父は、自分の愛していた本たちの、その後の行方を考えるのがつらかったのである。

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by cuore_bonita38 | 2007-05-25 21:27 | 家族 | Comments(0)